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作家ファイル8 那須 萬喜子「私だけの樋門を描きたい」 という表現欲がやっと出てきた。

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●プロ集団を前にカルチャーショック。

 月2回開講の、福島先生の『日曜油絵講座』が始まったのは 1990 年 10 月。実は那須さんの洋画人生も、この講座の第一期生として同時にスタートした。
「今度、油絵をはじめるんですけど、何が必要でしょう?」
と画材屋で道具一式そろえ、
新たな趣味作りくらいの軽い気持ちで門を叩いた習い事は、
光風会との出会い、そして終わりのない探求への道につながった。

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「申し込みのとき受付の方に『絵を描いたことがありますか』と聞かれて、『はい』と答えたんです。
油絵の経験はありませんでしたが、絵なら子どもの頃のお絵描きでも、美術の授業でもやっていたし、と。
そうしたら、講座が始まってから、ほかの方のレベルの高さにびっくりしてしまって」

 そういえば、受講生募集の広告に「中級者以上」と書かれていた、と那須さんは苦笑しながら振り返る。
それでも、すぐに油絵の魅力にとりつかれた。

「講座のある日は、孫が『おばあちゃん、今日は絵のお勉強の日だね』って。ふだんとは出立ちも表情も違うらしくて(笑)」
 翌年からは、基礎をしっかり学ぼうと、4年間、坂手先生のデッサン教室にも通った。

曰く、負けず嫌いで、やりはじめたら、とことん熱中するタイプ。
95 年には岡山光風会入会する。

「初めての研究会では、錚々たる方たちの集まりに、これはとんでもないところに来てしまった、とまたカルチャーショック(笑)。
福島先生が『光風会はプロの集団』とおっしゃったのが、身にしみました。この言葉には、今も戒められていますが」

●行き詰まっては通う樋門への道。

 ところで、那須さんといえば2004 年から続けている『樋門』シリーズが思い浮かぶが、なんと、これが風景画の初挑戦。それまでは、光風会にも人物画で出品していた。

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「風景は、なぜかずっと描かず嫌いだったんです。
静物は好きだったので、最初のころは樋門も、自分のなかでは風景というより、静物画のモチーフの感覚。構図のとり方も、まったくわからなくて、写真を拡大して、比率を計算して。
まるで設計図を描くみたいな作業をしていました」

 児島湖の干拓時代の面影を残す、今は閉じられたままの近所の樋門に、那須さんは自転車で何度も何度も通う。

「行き詰まっては見に行って描いて、家で制作しているうちに、ああ、こんなはずじゃない、となってまた見に行く。その繰り返しです。淀んだ水、凍えるような朝の凛とした空気感…。課題はいつもいっぱい」

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 ふと人物画に帰りたいなと思うときもある。
「でも、福島先生に、もう戻ったら駄目だと言われてます。
悩むのはいいけれど、迷うのはいかん、
決めたら迷うな、ほかの人の描く樋門を蹴散らすつもりでいけとまで(笑)。でも、私だけの樋門が描きたいのは確かです」

 油絵をはじめたころは、講座の前日になると
「わあ、明日は絵の日だ!」とわくわくしていたという那須さん。
創造の喜びだけでなく苦しみも知ってしまった今は、
単純に楽しい、という感覚からは卒業したという。

「最近になって、やっと『自分の絵を描く』というスタートラインに立てたという気がするんです。
自分を表現したい、
そして、ほかの人にも何かを感じてもらえる絵が描けるようになりたいって。
まだまだこれからです」

構成・文/中原順子  2007・05・01



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