●「描きながら教える」という生き方。
昨年5月(注:この記事は2005年に作成したものです)に倉敷で行われた夏季講習会の参加者なら、大人たちに混じって真剣な面持ちで講評を聞いていた高校生たちの姿を覚えているだろう。
彼らを引率していたのが出雲北陵高等学校美術コース主任の飯塚康弘さん。
「挨拶をすること、嘘をつかないこと、約束を守ることには厳しい教師かも。周囲に愛される人間になってほしいですから」と禁欲的な教育者の一面も見せる彼は、2002年開設時から同コースに携わっている。
教師と制作活動の両立は大変だと思うのだが、「教えながら絵を描き続けている先生たちはいっぱい。僕なんかまだまだ」と自分にも厳しい。
目指すべき姿を見せてくれた過去の出会いが彼にこう語らせるのだろう。その一人は高校時代の恩師。美術準備室でずっと静かに絵を描いている姿に「こういう生き方もいいなあ」と思い、美術系の進学を決意したという。そしてもう一人が、岡山大学教育学部・通称「特美」で出会った福島隆壽先生だ。
●模索を繰り返していた岡山時代。
黄色でリンゴを描いたとき、「面白いですなあ」とおっしゃった福島先生のことを、「直感的にいい先生だと思った(笑)」という飯塚さん。しかし福島研究室時代は「描くことの大変さ」を学んだ時代でもあったらしい。
「なんだかとても困ってたんです。先生の絵にそっくりになってしまったり、教わったことは全部排除して自分でゼロから始めようと思うと、今度は絵がまったく出来上がらなくなったり。作風も『こんなに変わる人、おらん』ってくらい変わりました(笑)」
人物画から抽象まで手当たり次第に挑戦し、もがいていた当時を 10年近くの歳月が経たいまなら、客観的に振り返ることができる。
「教える立場で生徒たちの作品を見るようになってみて初めて、人には特性があることがわかってきたんです。無理する必要のない、その人らしさというものが。でも、放っておいたら、つい新しいことを試してみたくなるのも、人間というものらしいですね」
生徒たちが「自分らしさ」から逸れていかないように見守っていたいという飯塚さんの願いは、紆余曲折を経た先輩としての気持ちなのかもしれない。
●故郷の風景に託す、たくましい人間の姿。
そんな飯塚さんが帰郷をきっかけに描き続けているのが、生まれ育った島根の風景。いわば、「原風景を通して人を描く」という試みだ。
「ここから逃げずによく生きてるよなあ、という人間の強さみたいなものが描きたくて」
と飯塚さん。その視点には、厳しさと優しさ、せつなさと喜びが同居している。
「人間を描くと、思い入れでカーッと熱くなりすぎるところがあったのが、風景に思いを託すことで普段着のように描けるようになったかもしれません。でもやっと自分が今ごろ気づいたことが、実は大学時代にすでに先生に教わったことだったりする。 10年分のことを先に教わっていたのだなあ、と改めて最近感謝しているんです」
*飯塚さんの記事はこちらのサイトで詳細が掲載されています。
グループ8ウェブサイト:https://groupeight.exblog.jp/7972338/
(2005年の記事を転載しています。現在飯塚さんは島根で活動をされています)
構成・文/中原順子(フリーライター)