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作家ファイル12 山根章裕「描きたいものを、ちゃんと描けるようになりたい」

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父が県立青陵高校の美術部だったので、よく福島(隆壽)先生の話を聞いていました。
だから、光風会岡山支部の研究会に参加して先生にお目にかかったときは、
「ああ、この方のことだったんだ」
と感慨深かったです。

僕の場合、岡大を勧めてくださったのは、
当時、青陵高校で美術を教えていらした河本昭政先生(東光会)でした。
「山根君、岡大に行ってみたらええがぁ」って。
そのときは、岡大に行くかどうか迷っていましたが、河本先生の
「どこに行っても、絵を描くのは自分じゃが」という一言は、今でも忘れられません。

そして、大学に入ってからは、3年のときから西山松生先生のゼミに入りました。今、思えば、これが光風会との縁になったわけですが、当時はそんなことになるなんて、全然思ってもいませんでした。ただ単純に、西山研究室が面白そうだったんです。

同じ光風会に入って、今度、一緒にグループ8に参加する藤原(智也)くんに言わせると、僕は、西山(松生)先生に、溺愛されていたそうです。

確かに一対一のゼミで筆の洗い方からキャンバスの張り方まで油絵の基本を一から教えていただきました。
それから先生はゼミ生以外の学生にもよく指導されていたので、藤原くんたちも一緒に、県内のあちこちにスケッチ旅行に行ったりもしました。

西山先生のゼミは、水曜と木曜の週2回。
木曜日の朝は石膏デッサンで
水曜日は、朝から先生と二人で奉還町商店街にスケッチに行くんです。
それぞれに、好きな場所があって、僕は花屋や果物屋が好きでした。
お店の方に「頑張るなぁ」と、声をかけていただくこともありました。
そして、午後は大学に戻って制作です。

街頭でスケッチなど、今までしたこともなく、新しい体験ができる、この時間が楽しくてしかたがありませんでした。大の苦手だった石膏デッサンがなんとなく嫌いではなくなったことも、大学で得ることができた大きなものの一つです。
それも、すべて西山先生のおかげです。

西山先生には、よく
「山根くんは、どんどん伸び伸び描きなさい」とおっしゃってくださいました。
先生が岡大を退官されて、東京に戻られた今でも
ときどき手紙で作品を見ていただいたりしているんです。

続きはグループ8ウェブサイト:https://groupeight.exblog.jp/8618665/


構成/中原順子(2008.7)



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